戦後の教育改革(下)教育委員公選制

3回で制度改正、任命制に

 教育改革のもう一つの柱が教育委員会制度の発足です。昭和23(1948)年7月に公布された教育委員会法は、それまでの国―県―市町村の上意下達式の中央集権体制をあらため、教育行政を担う独立した機関として公選制の教育委員会を設けることを定めました。投票で選んだ教育委員を通じて、住民が教育行政に参加できるようになったのです。

教育委員は、都道府県7人、市町村5人で、このうち1人は議員、その他は公選としました。任期4年で2年ごとに半数改選することと定めました。しかし公選制は3回足らずで制度改正され、任命制になりました。昭和20年代に行われた教育委員公選制を振り返ります。

▽初の公選、投票率は64%

 初めての教育委員選挙は全国一斉に23年10月5日に行われ、富山県教育委員選には13人が立候補しました。投票率は64.2%で、谷村正信、有川哲四郎、津山玄道、金岡好造、平岡ハツエ、山本宗間の6人が当選しました。職業は教員や僧侶、町村長、企業経営者、女性運動家など各分野にわたっていました。

当選者のうち谷村、有川、津山の上位3人は任期4年、金岡、平岡、山本の任期は2年でした。県議会からは委員に飛見丈繁が選出され、初代教育委員長には津山玄道が就きました。

戦前からの女性運動のリーダー、平岡は25年5月に参院選出馬のため辞任し、次点の荒井松雄が繰り上がっています。のちに荒井が創設した荒井学園は、現在も私立高校の高岡向陵高、新川高を運営しています。

▽市町村教委は全国一の組織率

 市町村の教育委員会は5大都市のほかは任意制でした。昭和23年の時点で全国で設置されたのはわずか46市町村だけで、このうち3分の1を占めたのが富山県の15市町村教委で、全国一の組織率でした。富山市、高岡市と滑川、雄山、上市、氷見、出町、石動、福野の7町、南加積、釜ヶ淵、松沢、西太美、南谷、水島の6村です。教育委員会制度にいち早く取り組んだ先進県で、各地から視察が相次ぎました。来県した文部省の相良惟一課長は「制度に対する認識や教育に対する理解というより、むしろ軍政部当局の示唆によるところが多かった」と報告しています。

初回の23年10月は高岡市、上市、出町、福野、石動町と西太美村の6市町村教委で選挙が行われ、その他の市町村教委は定員通りの立候補で無競争でした。

教育委員には女性の進出が目立ち、5町村教委に6人の女性委員が就きました。初代の県内教育委員計82人のうち、県教委の平岡を含めて女性は7人を占めました。

▽公選3回で任命制へ

 教育委員の公選は23年、25年、27年と3回行われましたが、経費や運営の負担が大きく、政治的中立を保障し得ないといった課題が指摘されるようになります。29年の改選は延期され、31年6月に公選制から任命制に切り替わりました。知事や市町村長が議会の同意を得て任命する現在の制度になったのです。教職員の人事権は県の教育委員会に移されました。

教育委員を公安委員と同様の任命制に変更する方針を国会で示したのは、第二次鳩山一郎内閣で文部大臣を務めた富山2区選出の松村謙三でした。松村は、地方財政の窮乏を理由とする改正には絶対反対する一方で、教委を任命制に切り替えて引き続き独立した執行機関として存続させる考えを述べています。

このころ教育界は、教員の政治活動禁止、学校での政治教育の禁止を規定する法案を問題視する日教組が政府と激しく対立していました。教科書検定問題なども加わって、戦後教育改革の方向性を再検討することが大きな政治課題になっていたのです。その一環で、教育委員公選制も見直しが進められました。

富山県では31年10月、公選委員に替わる新たな教育委員として中井精一、川崎順二、雪山俊之、神田七次郎、木津富佐の5人が知事から任命されました。

■富山県教育委員の公選の結果

▽第1回/昭和23年10月5日(投票率64.2%)

当 谷村正信(41)中学校教頭、婦負郡朝日村

当 有川哲四郎(56)福野町長、福野町

当 津山玄道(59)僧侶、西・若林村

当 金岡好造(46)帝国化成社長、富山市

当 平岡ハツエ(58)公務自由業、富山市

当 山本宗間(41)東加積村長、中・東加積村

次点:荒井松雄(会社重役)星谷慶緑(僧侶)中田賢照(僧侶)村上虎雄(富山地方労働委員会会長代理)大井義昌(県農地委員)金森吟(無職)森田幸二(帽子業)

▽第2回/昭和25年11月10日(投票率58.7%)

当 金岡好造(47)会社重役、富山市

当 山本宗間(43)県教育委員、中・東加積村

当 荒井松雄(41)会社重役、高岡市

次点:岩倉政治(文芸作家)

▽第3回/昭和27年10月5日(投票率59.3%)

当 大窪マスミ(44)無職、高岡市

当 山森利一(63)農業、婦負郡・呉羽村

当 木田喜作(55)農業、下・青木

次点:津山玄道(僧侶)谷村正信(北日本文化協会理事長)

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