戦後富山県政史

対談・富山大空襲

中山伊佐男さんの足跡(上) 

自身の体験が貴重な戦争の記録 1945(昭和20)年8月2日未明、米軍の焼夷弾攻撃を受け、富山市は一面火の海と化しました。飛来した爆撃機B29は174機、投下した焼夷弾が49万9950発。けた違いの大規模な爆撃によって目標エリアの市街地の破...
県政のあゆみ

Ⅱ―12、追放解除組3人が当選/27年10月総選挙

1区松岡、2区松村、河合 昭和26年9月のサンフランシスコ講和条約発効後、日本が占領期から脱して初めての国政選挙となる総選挙が27年10月1日に行われました。吉田茂内閣与党の自由党内では、吉田支持派と鳩山一郎を中心とする反吉田派との対立が先...
県政探訪

富山・高岡の対立(下)富山大経済学部と新産都市

戦後も県政の中心的課題 富山市、高岡市の対立を軸とする県の東西問題は、戦後の富山県政の中心的な課題になりました。予算配分や施設配置の地域バランスを図ることは、均衡ある発展のために必要なことですが、地域エゴや度を越えた誘致活動は、混乱や停滞を...
県政のあゆみ

Ⅱ―11、改進党の結成

追放解除の松村が幹事長 昭和24(1949)年の総選挙で単独過半数を得た民自党の吉田茂は第3次の内閣を発足させ、27年総選挙まで3年8か月に及ぶ長期政権を築きます。この間、東西冷戦が激化して朝鮮戦争が勃発します。GHQ内部の闘争が繰り広げら...
県政探訪

富山・高岡の対立(上)博覧会会場を引き合う

根深いライバル意識 戦時中の昭和18(1943)年1月22日、北日本新聞に「富山・高岡の連繋 両市合併の企画」と題した投稿が載りました。筆者は高岡高商教授で法学者の高田源清で、富山市と高岡市が各種の問題につき競争的、闘争的であるとして「相互...
県政のあゆみ

Ⅱ-10、総合開発計画の策定

計画県政のスタート 敗戦後の経済復興、生活再建を目指す戦後日本社会の指針となる国土総合開発法が昭和25(1950)年に施行されました。これに呼応して富山県では、全国の都道府県に先駆けて26年6月、県条例による県総合開発審議会を立ち上げ、総合...
県政探訪

20年刻みに4つの世代/戦後富山の衆院議員

富山県選挙区から選ばれる衆院議員は、知事と共に県政に大きな影響力を持つキーパーソンです。戦後の衆院議員の顔ぶれは、昭和40年代半ば、昭和末、平成20年代を節目として世代交代し、ほぼ20年単位に大きく入れ替わってきました。昭和20年代のメンバ...
県政のあゆみ

Ⅱ―9、新人31人当選、戦前議員が姿消す/26年県議選

自由党が躍進、県議会第1党に 戦後2回目となる昭和26(1951)年4月の富山県議選は、民自党が躍進した前回総選挙の流れを色濃く反映し、自由党が第1党の座を獲得します。前回県議選で第1党だった富山県独自の政党・農本党は消滅し、多くの所属議員...
県政の記憶

向井英二さん追悼座談会(下) 高岡市長選 誤算だった橘さんの擁立

C 平成15(2003)年春の富山県議選で向井さんは7期目の当選を果たします。一方、翌16年5月に任期満了を迎える地元高岡市の佐藤孝志市長の動向が注目されていました。向井さんは支持する市議を集めて政策研究会を組織するなど、市長選出馬の足場固...
県政のあゆみ

Ⅱー8、富山市長の尾山が初当選/25年参院選

26年補選で舘が復帰 戦後2回目の参院選は昭和25(1950)年6月に行われ、1回目の参院選で当選した全議員の半数にあたる任期3年の125議席が改選になりました。富山選挙区は3年議員の小川久義が改選を迎えました。現職の小川は告示直前に全国区...