1区松岡、2区松村、河合
昭和26年9月のサンフランシスコ講和条約発効後、日本が占領期から脱して初めての国政選挙となる総選挙が27年10月1日に行われました。吉田茂内閣与党の自由党内では、吉田支持派と鳩山一郎を中心とする反吉田派との対立が先鋭化していました。吉田は反対派への打撃を狙って8月、選挙準備ができていないうちに総選挙に持ち込むための「抜き打ち解散」を断行します。
投票の結果は、与党の自由党が過半数を保ったものの議席を減らし、しかも鳩山支持派が選挙後に党内野党となり、吉田支持勢力は過半数を下回りました。一方、発足したばかりの改進党や社会党左右両派は勢力を伸ばしました。レッド・パージを受けた共産党の当選者はゼロでした。
この選挙は、追放解除組の政界復帰が大きな焦点でした。解除者は329人立候補し、139人が当選しました。このうち、もともと衆院議員で追放されたのちに返り咲いたのは95人と全体の2割を占めました。
有力者が顔をそろえる激戦となった富山1区は追放解除の新人で自由党の松岡松平がトップ当選し、自由党の内藤隆、改進党の佐伯宗義が議席を維持しました。鳩山支持派の松岡は、初当選ながら自由党結成時の総務を務めた経歴があり、非公認で選挙に挑んで青年、婦人票を固めました。前職で黒部を地盤にする自由党の鍛冶良作は、上市が地盤の松岡と、同じ黒部の改進党・森丘正唯に票を食われて再選を阻まれました。社会党の新人、三鍋義三が健闘し、次点でした。
1区はこの選挙以降、約20年にわたって自由党・松岡、内藤、鍛冶と改進党・佐伯の保守4人が社会党の候補も交えて激しく争い、当落を繰り返す構図になります。
富山2区は戦前からの議員で改進党の松村謙三、自由党から出馬した河合良成の大臣経験者の追放解除組が1、2位を占めました。3番目の議席を争った前職は、改進党の内藤友明が入り、自由党の土倉宗明は及びませんでした。橘直治は引退して松村、河合に地盤を譲りました。橘はのちに参院議員として政界に復帰します。
前回に続いて県内は保守が全議席を独占し、自由、改進が3議席ずつで勢力が拮抗しました。自由党は4人を公認したものの2人の当選にとどまり、非公認の松岡を加えて3議席を確保しました。自由党当選3人のうち松岡と河合は鳩山派に属しており、反吉田派が圧倒的多数となりました。
当選者6人のうち、追放解除者が半数の3人を占めました。昭和30年の総選挙で議席を得る正力松太郎を含め、県内で追放解除後に衆院議員に返り咲いたのは4人になります。
| 第25回総選挙/昭和27(1952)年10月1日 | ||||
| 選挙区(定数) | 当落 | 得票数 | 候補者名 | 党派 |
| 第1区(3) | 〇 | 45,094 | 松岡松平 | 自由党 |
| 〇 | 41,502 | 内藤隆 | 自由党 | |
| 〇 | 36,218 | 佐伯宗義 | 改進党 | |
| 35,847 | 三鍋義三 | 日本社会党 | ||
| 33,070 | 鍛冶良作 | 自由党 | ||
| 28,382 | 森丘正唯 | 改進党 | ||
| 18,284 | 荒木丈太郎 | 無所属 | ||
| 5,028 | 村上虎雄 | 日本共産党 | ||
| 第2区(3) | 〇 | 52,776 | 松村謙三 | 改進党 |
| 〇 | 51,020 | 河合良成 | 自由党 | |
| 〇 | 42,801 | 内藤友明 | 改進党 | |
| 38,743 | 土倉宗明 | 自由党 | ||
| 14,882 | 杉沢博吉 | 日本社会党 | ||
| 8,553 | 木倉純郎 | 自由党 | ||
| 6,616 | 岩倉政治 | 日本共産党 | ||


コメント