Ⅱ-7、民自党躍進、県内半数占める(24年総選挙)

1区に新人、内藤隆当選

 片山哲内閣を引き継いで社会、民主、国協の3党連携を維持した民主党の芦田均内閣も、7か月余りの短命に終わります。主な原因は、化学肥料メーカー・昭和電工が復興金融公庫から資金を借りようとして政府要人に贈賄した疑惑の浮上でした。この昭電疑獄は、大蔵省主計局長・福田赳夫や元自由党幹事長・大野伴睦、蔵相・栗栖赳夫らが逮捕され、芦田首相も辞職後に逮捕される大がかりな事件に発展しました。富山県関係者では元自由党総務の松岡松平も名前が挙がりました。GHQ内の対立が背景にあるとされ、後に栗栖が有罪になり、他の政治家は無罪が確定しています。

芦田内閣のあとは民自(民主自由)党総裁の吉田茂第二次内閣が少数与党で成立し、吉田は主導権確保を狙って昭和23(1948)年12月に衆院を解散します。疑獄の摘発が続く中での総選挙で、民自党に有利な情勢でした。翌24年1月の総選挙に、富山1区は8人、2区は7人が名乗りを挙げました。無所属は2人にとどまり、政党色がはっきりと強まってきました。国政選の候補者は政党に所属しないと当選できなくなってきたのです。

結果は、1区の現職は民自の鍛冶良作、民主の佐伯宗義が再選を果たします。民自の新人、内藤隆が初当選しました。社会の現職、矢後嘉蔵は1000票余りの差で届かず、社会党は議席を失いました。全国的な社会党退潮の流れに加え、複数の社会党系候補に支持票が分散し、保守の激しい争いに埋没しました。

2区は現職の綿貫佐民が公職追放で出馬できず、代わって戦前からの代議士だった民自元職の土倉宗明がトップ当選しました。民主・橘直治、国協・内藤友明が次点に2万票以上の大差をつけて再選されました。

両区を合わせた当選者の内訳は、民自3,民主2,国協1となり、民自が半数を占めました。全国も同じ傾向で、民自は倍増に近い269議席を得る大勝利となり単独過半数を獲得します。前回第1党だった社会は半数以上減らして48議席、民主、国協も議席を減らしました。

この選挙で特筆されるのは、全国的に官僚出身議員が多く登場したことです。公職追放による人材難を解消するとして民自が積極的に登用し、各省の次官や局長級の高級官僚が出馬しました。佐藤栄作、池田勇人、前尾繁三郎、橋本龍伍ら、後の政府を担っていく人材が初の議席を得ています。

総選挙の大勝を受けて発足した第三次吉田内閣のもと、26年9月のサンフランシスコ講和条約調印、27年2月の講和条約発効と、敗戦した日本は占領期を終えて独立国家としての国際的な地位を確立していきます。

第24回総選挙/昭和24(1949)年1月23日
第1区(3)62,878鍛冶良作55民主自由党
 38,880佐伯宗義56民主党
 30,108内藤隆57民主自由党
  28,879矢後嘉蔵50日本社会党
  18,570保科治朗48無所属
  18,131荒木丈太郎52国民協同党
  16,743山本松次郎50無所属
  15,607松島治重38日本共産党
第2区(3)55,276土倉宗明61民主自由党
 45,128橘直治42民主党
 41,393内藤友明56国民協同党
  19,453木倉純郎39民主自由党
  18,908杉原一雄41日本社会党
  17,811簑島宗平70民主自由党
  8,814巴陵宣正42日本共産党

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