高岡市選出の元自民党富山県議で、県議会議長や党富山県連幹事長を歴任した向井英二さんが6月8日、80歳で逝去されました。自民党県連幹事長時代は、党員組織率日本一の自民党王国を率いて予算要求や議会改革に手腕を見せ、若手県議を国政選候補に抜擢する政治力、調整力を発揮して一時代を築きました。一方でその政治手法は強引、豪腕と評されることもあり、高岡市長選、衆院選と挑戦して続けて敗れ、政界から身を引きました。富山県政研究会メンバーの元新聞記者3人が、向井さんの足跡を振り返りました。
▽勤務先の上司は橘康太郎さん
A 20代から政治家でしたね。最初は市議ですか。
B 青年団活動から25歳で高岡市議選に出馬し、最初は落選したんです。2度目の挑戦の29歳でトップ当選を果たし、市議1期で昭和54(1979)年の県議選で33歳で初当選しています。以来、7回連続当選して県議会議長、自民党富山県連政調会長、幹事長、党県議会議員会長などを務めました。
C 議員になる前は、高岡高校を卒業して伏木海陸運送に就職しています。オーナー家でのちに衆院議員になった橘康太郎さんが上司で、市議選出馬には反対されたそうです。30年余り後には息子の慶一郎さんと高岡市長選で戦うことになります。
▽異例の予算折衝で少子化対策を実現
A 印象に残っているのはやはり党県連幹事長時代です。就任したのは平成11(1999)年6月ですね。
B 向井さんが幹事長になって迎えた12年度の県予算編成は異例の展開となりました。年明けに県議会各会派が要望を提出する予算折衝が行われるのですけど、実態はセレモニー化していて例年1日で終わります。ところがこの年は、自民党が未就学児医療費の無料化を要求して譲らず、2日間にわたりました。経費が多大だと抵抗する県当局に対し、党側の向井幹事長―竹内弘則政調会長コンビは強硬でした。
C 少子化対策として子どもの医療費助成が取りざたされ始めたころですね。市町村が先行して制度化し県、国が追いかける流れで段階的に対象項目、年齢が広がっていきました。
B この予算では3歳までの通院費無料で落ち着きました。押すだけ押して落としどころを探った末の政治決着でした。駆け引きが得意な向井さんらしいやり方だったと思います。
A 自民党にとっては制度要求が実現して大きな実績になったでしょう。かといって中沖知事と対決したわけではないですよね。
B 中沖知事は盤石で、もちろん自民党とも良好でした。ただ向井さんは、議会と当局は一定の緊張関係を保つべきだという考えでした。中沖県政は根回し政治の時代でしたから、水面下では深夜に及ぶ交渉があったのだと思います。まさか予算折衝でこんなにもめるなんて、と当時の県幹部が驚いていましたよ。
C 以前、県議会に政策討論委員会がありました。国会の党首討論をモデルにした全国初の試みという触れ込みで、議員同士が北陸新幹線や公共事業などの政策テーマを議論するのです。平成12年12月県議会で始まり、音頭を取った向井さんが初代の委員長を務めています。当局に質問するだけじゃ物足りない、議員はもっと互いに議論して切磋琢磨すべきだと向井さんはよく話していました。弁の立つ人でしたから、議会人として議場での論戦に思い入れがあったのでしょう。
▽県議1期の野上さんを参院候補に
A このころは森喜朗首相が支持率低迷にあえいでいて、自民党に強い逆風が吹いていました。
B 富山県の自民党は、平成12年に県連会長の綿貫民輔さんが衆院議長に就任して、会長が長勢甚遠さんに交代しました。長勢会長―向井幹事長の執行部は参院選富山選挙区の候補選考に直面しました。2期務めて引退した鹿熊安正さんの後任です。従来のルールならベテラン県議の河合常則さんが最有力でしたが、逆風下で通常のやり方では勝てない、と。そこで候補に挙がったのが、富山市選出の県議1期目だった野上浩太郎さんでした。
A 向井さんの仕掛けですね。
B そうです。このときは自由党で富山市に基盤を持つ元衆院議員、広野允士さんの出馬が取りざたされていましたので、富山市で勝てる候補であること、さらに党への逆風をはね返すイメージの良さが求められたのです。野上さんは父の徹さんが衆院議員を2期務めた2世議員で知名度もあり、現役の県議で最も若い33歳です。将来の選択肢も含めた長い目で考えていました。この人選には驚きました。そして、なるほど、と思いましたね。
A 野上さん擁立のもう一方の主役は、党富山市連でしたね。支部長は市議の力示健蔵さんです。富山市連の支部長は歴代、国会議員や県議が務めてきましたが、当時は市議団が結束して力示さんを押し上げていたのです。富山市連は特に、広野さんの出馬に強い危機感を持っていました。
C 力示さんも親分肌のボスでした。向井さんと力示さんは肌があったのでしょう。ともに調整力、決断力に優れ、まさに最強のコンビでした。野上さんの抜擢は、この2人が組んだからこそできたことだと思います。
A 小泉首相になった平成13(2001)年7月の参院選で野上さんは圧勝します。広野さんは富山選挙区ではなく比例区に出馬して議席を得ました。河合さんはこの3年後の参院選富山選挙区に立候補して当選しています。
▽党役員の2年交代ルールを招く
A 12年秋には知事選がありましたね。多選批判もくすぶる中でしたが、中沖さんが6選を果たしています。このときは自民党公認を取り下げたことが話題になりました。
B 中沖さんは初当選した昭和55(1980)年から一貫して自民党公認の知事でした。かねて他党から、知事は無所属であるべきだと要望が寄せられていたのと、全国的にも党公認知事がいなくなったことから、無所属での出馬を決断したのです。これを受け入れた側の自民党幹事長の向井さんは、自治労県本部の又市征治委員長ともパイプがあり、調整に動いていたようです。
A 若いころから発言力、行動力のあった向井さんは、上の世代からかわいがられたようで、党や議会のポストを与えられて育てられたのだと思います。ここぞというときは凄みがありましたね。押さえつけるような話し方や圧倒する力がありました。
C 逆に言えば、周囲の反応を気にせずに強引に進めていくことへの反感もあったのでしょう。平成13(2001)年から党県連の役員は2年交代のルールが定められました。
B それまでは人物本位で選んでいました。幹事長は、鹿熊安正さんが10年、河合常則さんが6年などと長く務めるケースがあり、それだけ幹事長になれる人は少なかったのです。県議会の自民党は議長、副議長などの議会役員は1年ごとに私約交代するのが慣例で、当選を重ねれば原則として順番でポストに就きます。党役員も同じように、多くの人に回るようにしたいと要望があったのです。
C 向井幹事長の体制が長く続くことへの警戒感があったのでしょうね。組織の活力が失われるとして河合さんなどは反対していましたが、下の世代の声が強く、2年交代を向井さんから適用したのです。
▽断トツのトップ当選がパワーの源泉
A 自民党県連の幹事長は県政界のキーパーソンですから常に取材を受ける立場です。歴代幹事長はいろいろなタイプの方がいますが、向井さんはフランクに応じる方でしたね。
B 核心部分はしゃべらなくても、質問をはぐらかすようなことはせず、筋道や流れをきちんと説明してくれました。行政については、箱ものの建設や企業誘致など派手は面に目を奪われがちだけど、本質は弱者の救済や福祉、教育だとよく言っていました。
C 向井さんは選挙に強かったですね。県議選では群を抜いた得票で当選していました。
A パワーや自信の源泉はそこでしょうね。下位当選者の2倍以上にもなる断トツの得票が支えになっていたのでしょう。7回連続当選で、しかも得票を増やしながらトップの座を維持するのは並大抵のことではありません。後援会員も年を取りますから、常に新しい支持者を大勢獲得していたということです。
B 自民党のど真ん中にいましたが、そこにおさまりきれずに飛び出しました。働き盛りの58歳で高岡市長選に名乗りを挙げます。
▽富山県議選高岡市選挙区の向井英二さんの得票結果
・昭和54年4月8日/11,786票(2位)
・昭和58年4月10日/12,577票(2位)
・昭和62年4月12日/13,263票(1位)
・平成3年4月7日/16,658票(1位)
・平成7年4月9日/17,763票(1位)
・平成11年4月11日/18,339票(1位)
・平成15年4月13日/16,988票(1位)

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