推薦候補が5人占める
富山県の定数6に推薦候補6人、非推薦候補11人が出馬した翼賛選挙は、政府・軍部の後押しを受ける推薦候補に有利に展開します。投票の結果、富山1区は推薦候補の井村荒喜、中川寛治と非推薦の高見之通が当選しました。富山2区は推薦候補の松村謙三、大石斎治、卯尾田毅太郎の3人が全員当選し、富山県の2選挙区定数6のうち推薦候補が5人を占め、非推薦で当選できたのは高見一人だけでした。当選者は現職と新人が3人ずつでした。
高見は明治13年生まれでこのとき62歳。尾崎行雄の勧めで政界入りし、大正6年の衆院選に政友会から出馬して初当選し、この翼賛選挙まで通算7回当選して24年8か月在籍しました。戦後は公職追放となり選挙には出ませんでした。
当選した推薦候補の新人のうち、1区の井村は不二越鋼材工業社長、中川は元県議で戦後は泊町長を務めました。2区の大石は氷見の農会(現在の農協)の幹部でした。
■赤間は繰り上げ当選
この選挙で富山1区は大規模な選挙買収問題が表面化し、推薦候補の運動員が多数検挙されました。このためトップ当選した井村は4か月後の8月に辞職します。次点だった赤間徳寿が繰り上げ当選しました。
全国的にも圧倒的に有利な推薦候補が続々と議席を得て、当選381人、当選率は81.8%に達しました。非推薦候補は613人も立候補しましたが、当選したのは85人にとどまりました。政府・軍部に協力的な戦時体制ができあがっていきます。
■県選出議員の顔ぶれ一新
この選挙で富山県の衆院議員の顔ぶれが大きく入れ替わりました。戦前の富山県の保守政治勢力は、板垣退助の自由党の流れをくむ政友会と、大隈重信の改進党を源流とする民政党の2大政党に二分されてきました。この時点までの主な衆院議員は、1区が政友会の石坂豊一、高見之通、民政党の野村嘉六、寺島権蔵の4人、2区には政友会の島田七郎右衛門、土倉宗明と民政党の松村謙三、卯尾田毅太郎らがいました。1区2区とも3議席をめぐって、それぞれ有力な4人がしのぎを削っていました。
これら元職は、推薦を受けた松村、卯尾田と非推薦の石坂、高見、野村、土倉の計6人が出馬しましたが、当選したのは松村、卯尾田と高見の3人です。卯尾田は20年6月に自宅前で、米軍機が落とした機雷の爆発に遭い命を落としました。戦後も衆院議員を務めたのは松村だけで、翼賛選挙を経てこれまでの流れが寸断されたことになります。
■富山市長、滑川市長に
落選した石坂はその後、富山市長に就任し、20年8月2日未明の富山大空襲に市長として遭遇します。戦後は参院議員に鞍替えし、国会議員の立場を保ちます。赤間は戦後の衆院選には出馬せず、29年3月に滑川市制発足時の初代市長になりました。
落選した非推薦候補の中には鍛冶良作、綿貫佐民ら戦後の県政の担い手たちが顔を出しています。
この選挙の当選者が終戦時点の衆院議員です。翼賛選挙の推薦議員は戦後、全員が公職追放になり、これを機に多くは国政の舞台から身を引きました。
◇翼賛選挙の富山県の当選者
| 選挙区(定数) | 当落 | 候補者名 | |
| 第1区(3) | 〇 | 井村荒喜 | 推薦 |
| 〇 | 高見之通 | 非推薦 | |
| 〇 | 中川寛治 | 推薦 | |
| 繰上 | 赤間徳寿 | 推薦 | |
| 野村嘉六 | 非推薦 | ||
| 山森利一 | 非推薦 | ||
| 石坂豊一 | 非推薦 | ||
| 鍛冶良作 | 非推薦 | ||
| 藤江清航 | 非推薦 | ||
| 第2区(3) | 〇 | 松村謙三 | 推薦 |
| 〇 | 大石斎治 | 推薦 | |
| 〇 | 卯尾田毅太郎 | 推薦 | |
| 土倉宗明 | 非推薦 | ||
| 綿貫佐民 | 非推薦 | ||
| 飛見丈繁 | 非推薦 | ||
| 岩佐虎一郎 | 非推薦 | ||
| 野村幸助 | 非推薦 |


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