Ⅰ-10、一斉選挙 市町村長、市町村議選(4月5日、30日)

富山市長に尾山三郎、高岡市長に武田儀八郎

 戦前の制度では、市長は市議会の推薦を受けて内務大臣が選任しました。町村長は町村議会が選出して知事の認可を受けることになっていました。地方自治法の制定で、市長も町村長も住民から直接選挙で選ばれることになりました。市町村長選は知事選と同じ昭和22(1947)年4月5日に行われ、212人の公選市町村長が誕生しました。市町村議選は30日に行われました。

▽保革一騎打ち制す

 石坂豊一の後任を決める富山市長選は2人が出馬しました。保守系は、大正10年から市会6期当選、昭和2年から県会4期当選の前市会議長で自由党の尾山三郎が立候補しました。革新系は、戦前から農民運動や社会主義運動に携わってきた社会党県支部連合会長の増山直太郎が出て、保革一騎打ちとなりました。投票率は78.6%と関心が高く、尾山が2万票近い差をつけて当選し、初代公選市長になりました。

尾山は3年後の25年6月に辞職して参院選に出馬、当選します。後任の市長選には富山商工会議所専務理事の富川安太郎や市助役の宮崎和清ら無所属3人と社会、共産の5人が出馬し、富川が当選しました。

3週間後の4月30日に行われた富山市議選には定数36に98人が立候補しました。このころは市町村長、市町村議や県議などの兼務が認められており、沢田佐一郎、湊栄吉、芝田正則らは富山市議選と県議選の両方に立候補しています。沢田は両方に当選して県議に、湊は県議当選、市議落選で県議になりました。芝田は県議落選、市議当選で市議になっています。

最下位の社会党・宇尾喜久松と無所属・永森収は674票の同数となり、抽選で宇尾が当選しました。次点になった永森は2年後の24年7月に繰り上げ補充当選しています。

▽229票の僅差で振り切る

 堀健治が務めていた高岡市長の後任を選ぶ選挙には4人が立候補しました。繊維、捺染企業を経営していた武田儀八郎が保守勢力から推されて高岡民主党を名乗って出馬しました。過去に3人の市長を輩出した堀一族からは、堀四郎がつながりの深い自由党や社会党の一部の支持を得て中立で立候補しました。共産党市委員長の本田昴、26歳で無所属の福岡正彌を合わせて4人の争いは、武田が堀を229票の僅差で振り切りました。

武田は1年後に辞職します。23年6月の市長選は、武田派が擁立した元市長の南慎一郎と堀四郎、本田昴の3人の争いとなり、南が制して2代目の公選市長に就きました。

高岡市議選は定数36に108人が乱立する混戦になりました。

▽大島村長に吉田実

 大島村長選では、37歳の吉田実が初当選しました。吉田は大島村長を3期務めた後、知事選に立候補します。

富山市長選/昭和22(1947)年4月5日
35,858尾山三郎60自由党
 16,667増山直太郎41日本社会党
   
高岡市長選/昭和22(1947)年4月5日
24,029武田儀八郎52高岡民主党
 23,800堀四郎60無所属
 4144本田昴43日本共産党
 1586福岡正弥26無所属
大島村長選/昭和22(1947)年4月5日
922吉田実37無所属
 828小川兵太48無所属

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