Ⅰ-9、一斉選挙 知事選(4月5日)

初代公選知事に舘哲二

 新憲法の制定とともに地方自治法など各種の法令が再整備されました。国会が衆議院と参議院の2院制になり、知事や市町村長が公選制になります。これに合わせて昭和22(1947)年4月に各種選挙が集中して行われ、これが統一地方選の始まりになりました。

4月5日に知事選と市町村長選、20日に参院選、25日に衆院選、30日には県議選と市町村議選と続きます。この一斉選挙に多くの新人が顔を並べました。昭和20年代、30年代の富山県政を担っていくメンバーが登場してきた選挙でした。

 一斉選挙のトップを切った知事選が4月5日に投開票されました。政府が任命する官選から県民が投票で選ぶ公選へと転換した初の知事選への関心は高く、県内各党が候補者選考に動きます。

保守系は、進歩党が内務次官を務め同胞援護会副会長、理事長の舘哲二、自由党は県支部長で富山市長だった石坂豊一を推して対立しました。県内務部長の加藤滝二や終戦直前の官選知事を務めた田中啓一、石丸敬次らの名も挙がりました。自由党と進歩党との候補一本化調整は難航しましたが、舘が知事選候補、石坂は参院選候補に回ることで合意しました。出馬を固辞していた舘はぎりぎりのタイミングで出馬を決断し、届け出ます。

舘は自由、進歩両党の推薦を受けて中立で立候補しました。この調整に不満を持つ加藤が出馬に踏み切り、保守勢力の一本化はできませんでした。

革新側も社会党公認の大井義昌と、公認からはずれた保科治朗に支持が分裂し、保革4人の争いとなりました。投票の結果、舘が圧勝して富山県の公選第1号知事に就任します。

しかし当選後になって舘は内務次官の経歴が問われ、わずか7か月で公職追放となり、辞任に追い込まれます。副知事の高辻武邦が職務を代行しましたが、後任知事を選ぶ選挙が行われるまで、約1年間の空白が生じました。

第1回知事選/昭和22(1947)年4月5日
178,931舘哲二59中立
 120,960加藤滝二50中立
 84,916大井義昌72社会
 10,776保科治郎46無所属

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