Ⅰ-4、政党の再建

戦前のリーダー中心に結成

 占領軍の指揮の下で政治、経済、社会の民主化が手探りで進められる中、戦後初の総選挙の日程が昭和21(1946)年4月10日に決まりました。総選挙を控え、戦前からの政治のリーダーたちが政党の再建、結成に向けて動きます。

先駆けて結集したのは戦時中、無産政党と呼ばれ軍部に抑圧されていた社会主義や農民運動、労働運動などの指導者たちでした。右派、左派の複数に分かれた社会主義者のグループが20年11月2日に日本社会党の結党大会を開き、書記長に片山哲を選びます。

終戦直後の20年9月に召集された臨時国会の会派は、戦時中に結成された大日本政治会の378人が大部分を占め、翼壮議員同志会21、無所属27などとなっていました。最大勢力の大日本政治会が衣替えして日本進歩党を結成し、町田忠治が総裁に就きます。富山県内の現職国会議員は松村謙三、高見之通、大石斉治が参加しました。進歩党は2年後に解散して無所属議員らも加わった民主党になります。

これに先立ち戦時中の翼賛政治に批判的だった「同交会」のメンバーを中心に、日比谷公会堂で日本自由党の結成大会を開いています。総裁に鳩山一郎、幹事長に河野一郎、総務会長には三木武吉を選んだ大会には、県内から旧大門町出身で東京市長などを歴任した牛塚虎太郎が参加しています。

協同組合主義を掲げた日本協同党は協同民主党を経て22年3月、国民協同党を結成し、三木武夫が書記長に就きました。国民協同党には富山県内独自の政党、農本党で当選した稲田健治、麻生正蔵、中田栄太郎が参加しました。

中央政界での政党復活を受け、富山県内で各党の支部が設立されていきます。

▽保守政党のその後の変遷

戦後の保守政党は離合集散を繰り返して、自由党、民主党の二大政党に集約されていきます。日本自由党は民主自由党となり、鳩山に代わって吉田茂が総裁に就きます。のちに自由党になりました。

日本進歩党は日本民主党となり、国民協同党と合同して国民民主党に。その後、解党して改進党となり、鳩山一郎と合流して日本民主党になります。

自由、民主の2大政党は、昭和30(1955)年の保守合同で自由民主党に一本化されます。自民党には、吉田茂の旧自由党系、鳩山一郎の旧民主党系の流れや派閥が残り、党内の権力闘争が続きました。

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