満員の傍聴席に赤旗林立
昭和24(1949)年7月の富山県議会では「多衆運動に関する条例」、いわゆる公安条例の制定をめぐる混乱がありました。デモや集会などの多衆運動を行うときは、あらかじめ公安委員会の許可を受けなければならないことなどを定める内容で、社会党や共産党、労働組合などは憲法に保障された言論、集会の自由を制限するものだと問題視し、反発していました。公安条例はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示によるもので、全国各地で制定をめぐる対立が起こっていました。
富山県議会は7月11日に急きょ、議員が招集されて条例制定のための臨時議会が開かれました。反対派も早朝から県庁に詰めかけ、満員の議会傍聴席には赤旗が林立しました。本会議場では社会党議員を中心に質問が相次いで出されましたが、質問も当局の答弁も、怒号と叫び声、拍手、歓声でかき消される大混乱が続きます。
午後に入って本会議休憩中に高原耕造議長が占領軍の富山軍政部を訪れて意向を確認しました。これを機に大勢は可決に傾いていきました。社会党県議5人のうち欠席を除く4人は文字通り体を張って抵抗し続けましたが、公聴会の開催を求める緊急動議が否決されます。午後8時過ぎ、採決が行われ、賛成31、反対2、無効2の大差で原案通り可決されました。議場は大騒ぎになったものの、審議は一日で終わり、公安条例は成立しました。
県議会議長の高原は、この日のことについて「県議会4カ年の回顧」で振りかえっています。「私は死を決して議事の進行を計る決意をした。(中略)会議の時間を延長しても本日中に議決すべきであると覚悟を決め、議場の整理極めて困難であるが万難を排して公安条例を多数決をもって議決しました」

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