Ⅱ-3、公選2代目の高辻知事

保革5人の争い制す

 富山県の初代公選知事に当選した舘哲二が公職追放された昭和22(1947)年秋から、知事の職務は副知事の高辻武邦が代行しました。高岡市伏木出身の高辻は、官選時代の大阪府知事を務めた元官僚です。同じ内務官僚の舘に富山県に迎えられていました。知事空白の期間を経て2回目の知事選が行われたのは翌23年11月20日でした。

このころ中央政界は激動しており、22年4月の総選挙後に発足した社会、民主、国協の3党連立による社会党の片山哲内閣が23年2月に総辞職。代わって3党の枠組みのままできた民主党の芦田均内閣も昭電疑獄などで短命政権に終わり、10月に民自党の第二次吉田内閣が成立したばかりでした。

富山県知事選に向け、当初は社会、民主、農本の与党3党連携で候補選考が進められましたが、芦田内閣の崩壊で白紙に戻り、民自党(旧自由党)と民主党、農本党、県議会五月倶楽部の保守4派による候補調整が焦点になります。候補として高辻のほか京都府副知事の井上清一や国会議員の佐伯宗義、石坂豊一、富山市長の尾山三郎、県議の前田治吉、八尾菊次郎らの名が挙がりました。4派間では民間人を基本に協議が進められましたが、県議を中心に高辻を推す声が強まり、最後は高辻で一本化しました。

革新系も統一候補を目指して複数の名前が挙がりましたがまとまらず、社会党が県議の佐野憲治を擁立します。共産党は橋本信明を立てました。

届け出の締め切り直前に元検事正の谷内庄太郎が出馬します。谷内の出馬は保守系候補統一の不満が表面化したもので、県政刷新を訴えて町村長の一部や氷見同志会をバックに支持を集めました。21年衆院選、22年参院選に出た僧侶の鞍馬可寿子も無所属で立候補しました。5人の争いは投票の結果、高辻に軍配が上がりました。

2期8年にわたる高辻県政は、窮乏にひんした県財政を立て直し、安定させることに直面しました。重点施策として取り組んだのが県総合開発計画の策定です。災害防止と資源開発の両立を目指す長期間の計画で、その後の歴代知事に引き継がれていく計画県政のスタートとなりました。

第2回知事選/昭和23(1948)年11月20日
162,872高辻武邦52無所属
 77,041谷内庄太郎62無所属
 75,501佐野憲治33日本社会党
 11,569橋本信明41日本共産党
 8,615鞍馬可寿子36無所属

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