富山県選挙区から選ばれる衆院議員は、知事と共に県政に大きな影響力を持つキーパーソンです。戦後の衆院議員の顔ぶれは、昭和40年代半ば、昭和末、平成20年代を節目として世代交代し、ほぼ20年単位に大きく入れ替わってきました。昭和20年代のメンバーを第1世代とすると、現在まで4つの世代に分類することができます。県内2選挙区だった中選挙区制時代は、1区2区とも定数3を自民2、社会1の比率で分け合ってきました。1選挙区で1人を選ぶ小選挙区制になってからは県内3選挙区とも自民の独占が続いています。富山市以東の旧富山1区は群雄割拠で保守系同士の政争が続いてきた一方、射水市以西の旧2区では、ともに13期務めた松村謙三、綿貫民輔など連続当選を重ねた「大物政治家」を輩出してきました。県東部と西部では、こうした政治風土の違いが際立っています。
▽終戦を挟んだ混乱期
昭和20(1945)年8月以前の戦前期は、保守系の二大政党として政友会と民政党があり、政友会には1区の石坂豊一、高見之通、2区の島田七郎右衛門、土倉宗明らがいました。民政党は1区に野村嘉六、寺島権蔵、2区では松村謙三、卯尾田毅太郎らが議席を得ていました。戦後直後の21年、22年総選挙で当選したのは中田栄太郎、麻生正蔵、稲田健治、綿貫佐民、橘直治、佐藤久雄らがいます。終戦をはさんだ政界引退や公職追放などの混乱を経て、昭和20年代後半に戦後の顔ぶれが固まります。
▽戦後第1世代(昭和20年代~40年代半ば)
昭和20年代は21、22、24、27、28年と5回の総選挙がありました。初当選の時期は異なりますが、公職追放が解除された27年以降の衆院議員を第1世代とします。明治生まれが中心で、昭和40年代半ばまで富山県政界の中心を占めた政治家たちです。
富山1区は佐伯宗義、鍛冶良作、内藤隆、松岡松平の保守系4人と社会党の三鍋義三、古川喜一。2区は保守系の内藤友明、土倉宗明、松村謙三、河合良成、正力松太郎と社会党の佐野憲治がいます。自由民主党発足前で、保守系は自由党と民主党(改進党)に分かれていました。この間の知事は高辻武邦、吉田実です。中田幸吉の初期まで現職だった人もいます。
1区の保守系4人は選挙のたびに激しい争いを繰り広げました。通算当選回数は佐伯8期、鍛冶7期、内藤6期、松岡3期で、いずれも何度かの落選を経験しており、当落のシーソーゲームが続きました。松岡は27年、30年に当選した後、5回続けて落選し続け、47年に執念の議席を回復しています。連続当選できなかったことが一つの要因となり、1区からはなかなか大臣が誕生しませんでした。
対照的な2区は、33年以降、約10年にわたって松村、正力、佐野が指定席で議席を占めました。戦前からの衆院議員の松村は、公職追放の一時期を除いて通算13期の長期間にわたる国会議員生活を送りました。読売新聞社長から政界に進出した正力は30年に初当選して以来、5回連続当選を果たしました。2人とも国政の重鎮で、大臣や自民党役員などの重要ポストを担いました。
・第1世代の顔ぶれ
1区/佐伯宗義、鍛冶良作、内藤隆、松岡松平、三鍋義三、古川喜一
2区/松村謙三、正力松太郎、内藤友明、土倉宗明、河合良成、佐野憲治
▽第2世代(昭和40年代~昭和の終わり)
昭和44(1969)年3月、84歳の正力が政界引退を表明しました。9月には86歳の松村も引退し、富山2区の巨頭2人が相次いで政界を去りました。1区で争いを続けてきた自民現職も44年と47年の総選挙で次々に引退し、40年代半ば、富山県政界は大きな世代交代の節目を迎えます。
44年12月の総選挙では、2区に自民党から吉田実、綿貫民輔、片岡清一の3人が出馬し、吉田と綿貫が当選しました。ここからが第2世代になります。吉田は1期だけで、47年からは20年近くにわたって綿貫、片岡の時代が始まります。
1区第一世代の自民4人の戦いは、佐伯と鍛冶が当選した44年総選挙が最後となります。この選挙で落ちた内藤がまず政界を引退し、当選した鍛冶も次の選挙の出馬を見送りました。佐伯は47年の総選挙で落選して引退します。松岡は47年に返り咲いたのを最後に政界から去りました。替わって登場したのが47年の住栄作、51年の玉生孝久、55年の野上徹です。住は6期連続の当選を果たし、1区から初めての大臣として58年に法務大臣に就任しました。
社会党は1区で4期務めた古川喜一、2区で7期連続当選した佐野憲治がともに51年で引退し、54年からは1区安田修三、2区木間章が議席を引き継ぎました。
片岡は明治40年代生まれ、住、玉生、佐野、古川は大正生まれ、綿貫や野上、安田、木間は昭和生まれで、若返りが進みました。第2世代は昭和の末まで続き、知事は中田幸吉、中沖豊でした。平成に入って新しい世代との交代期が訪れます。
・第2世代の顔ぶれ
1区/住栄作、玉生孝久、野上徹、古川喜一、安田修三
2区/吉田実、綿貫民輔、片岡清一、佐野憲治、木間章
▽第3世代(平成初期~平成20年ごろ)
平成2(1990)年総選挙は、富山県選出衆院議員が戦後2度目の世代交代を迎えた大きな節目となりました。1区は住栄作が死去し、玉生孝久も引退しました。替わって自民党から新人の住博司、長勢甚遠と元職の野上徹が出馬し、住と長勢が議席を獲得しました。自民系で無所属の広野允士は及びませんでしたが、平成時代の主役となる第3世代の住、長勢、広野の3新人が登場しました。住博司は栄作の二男で、初の戦後生まれ世代でした。
2区でも片岡清一が引退し、自民新人の萩山教厳が5回目の挑戦で初議席を得ました。自民党は萩山のほか現職の綿貫民輔と新人の橘康太郎を擁立しました。橘は落選しましたが、平成5年に議席を獲得し、2区は綿貫、萩山、橘の時代が始まります。
8年からは小選挙区比例代表並立制が取り入れられ、富山県は3つの小選挙区に分けられて衆院選の様相は一変します。自民党は旧1区の現職2人を小選挙区に振り分け、1区長勢、2区住としました。2区の住は10年7月に43歳の若さで亡くなり、補欠選挙で自民の宮腰光寛が選ばれました。旧2区の3人は、新3区の候補を綿貫とし、萩山、橘の2人は比例代表に回る調整を行いました。
中選挙区制最後の総選挙だった平成5年は1区が長勢、広野、住、2区は綿貫、橘、萩山と保守勢力が全議席を占め、社会党は県内の議席を失いました。小選挙区制導入後に自民党以外の政党が選挙区で当選したのは、政権交代につながった平成21年の1区での民主党・村井宗明だけです。
この時期の知事は、中沖の5、6期目と石井の1、2期目にあたります。
・第3世代の顔ぶれ
1区/長勢甚遠、広野允士、村井宗明
2区/住博司、宮腰光寛
3区/綿貫民輔、萩山教厳、橘康太郎
▽第4世代(平成21年~現在)
1区の自民・長勢は、政権選択選挙と呼ばれた平成21年総選挙で民主・村井宗明に敗れ、重複立候補の比例代表で復活当選したのを最後に政界から引退します。24年からは田畑裕明にバトンを渡しました。田畑は令和8年総選挙で比例代表に回り、替わって中田宏が初当選しています。
2区の自民・宮腰は8期連続当選して引退し、令和3年総選挙からは上田英俊に引き継ぎました。
3区は自民ベテラン綿貫が、17年の郵政選挙で自民を飛び出して結成した国民新党から出馬します。自民は萩山を公認し、選挙区は綿貫が当選、萩山は重複立候補した比例復活で議席を維持しました。21年は自民が擁立した新人の橘慶一郎が初当選します。萩山は引退し、3区現職の国民新・綿貫は比例単独で出馬したものの及ばず、政界を引退しました。以降、3区では橘が連続当選を続けています。現職の衆院議員は全員、戦後生まれになりました。
・第4世代の顔ぶれ
1区/田畑裕明、中田宏
2区/宮腰光寛、上田英俊
3区/橘慶一郎

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