爆弾発言も飛び出し混乱
舘哲二の公職追放後に生じた1年間の知事空白期を経て、昭和23(1948)年11月20日に2回目の富山県知事選が行われました。保守系各党は副知事の高辻武邦を推薦しましたが、直前になって保守勢力が分裂、5人の候補による激しい争いになりました。選挙期間中に県幹部が「重大不祥事がある」と爆弾発言するなどの混乱の末、公選2代目の高辻知事が誕生しました。
▽保守4派連携で高辻支持
舘知事辞職後の県政は、副知事の高辻が知事代行を務めていました。舘に対する当選無効の訴えが最高裁で棄却された23年9月下旬から、各党の候補選考が本格化します。民自党(旧自由党)と民主党、農本党、県議会五月倶楽部の保守4派連携による候補一本化の話し合いが始まりました。高辻のほか国会議員の佐伯宗義、石坂豊一、富山市長の尾山三郎、県議の八尾菊次郎、前田治吉や京都府副知事の井上清一らの名が挙がりました。協議を重ねた末、最後は高辻の支持で一本化されました。
革新系も統一候補の擁立を目指しましたが協議は決裂し、社会党は県議の佐野憲治、共産党は橋本信明を擁立します。保革3人の争いとみられていた選挙戦は、届け出間近に迫ったところで情勢が一変します。高辻を保守統一候補とすることに不満を持つ県町村長会が、独自の候補擁立に動きました。前年度に県庁のヤミ給与の慣習として明るみに出た交換謝金問題で、高辻は民間人から不正支出だとして告訴されており、検察の判断待ちになっていることを問題視したのです。高辻の内務官僚の経歴から、舘と同様に公職追放の対象になる懸念も示しました。
県町村長会長で氷見郡十二町の村長、元検事正の谷内庄太郎が名乗りを挙げました。県町村長会の有志や民自党氷見支部が支持したほか、民自党県支部長の石坂豊一が個人として応援すると表明し、保守陣営の結束が揺らぎます。
さらに衆院選、参院選の女性候補として健闘した住職の鞍馬可寿子も出馬し、保革5人が入り乱れて競り合う構図になりました。
▽「重大不祥事をマッカーサー司令部に報告」
選挙戦が始まると、一層の混乱を招くことが起こりました。現職の県庁の民生部長、丹羽寒月が公然と谷内の応援を始めたのです。応援演説に参加するなど公務員の選挙運動禁止規定に触れたため懲戒処分の対象となり、丹羽は辞表を提出しました。
その際、記者会見して「県政上の重大不祥事件についてマッカーサー司令部に報告した」と爆弾発言をして県庁、県議会、警察など関係者に波紋を広げました。交換謝金問題は関係ないとし、不祥事の具体的内容は明かしませんでした。反高辻の行動とみられましたが、真相はわからないままでした。
丹羽はこの後、昭和34年の参院選富山選挙区に立候補して落選します。37年4月には滑川市長選に無所属で出馬、自民党の松井信勝を破って当選し、市長を1期務めました。
▽交換謝金は不起訴
投票の結果は高辻の圧勝で、公選2代目の知事に就任します。
高辻は高岡市伏木出身。旧制高岡中学、旧制二高、東京帝大法学部を経て内務省に入り、軍事保護員援護局長、引上援護員次長、官選の大阪府知事などを歴任しました。
知事選後、交換謝金をめぐる高辻の告訴について検察は不起訴処分としました。
富山県は初代、2代と続けて官僚出身の知事を迎えることになりました。高辻県政は昭和31年9月まで2期8年続きます。

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