県政のあゆみ

Ⅰ-6、戦後初の総選挙

女性含め38人が立候補 昭和21(1946)年4月10日に戦後初の総選挙が行われました。旧憲法下での最後の衆院選で、大選挙区の連記制が取り入れられ、女性の参政権を初めて認めたことが大きな特徴でした。戦後政治のスタートであり、定数6の富山県選...
県政のあゆみ

Ⅰ-5、富山県内の政党支部

県独自の農本党も旗揚げ 昭和20(1945)年11月に各政党が次々に結成大会を開いた全国の流れと呼応し、富山県内でも年末にかけて社会党、共産党と保守系の自由党、進歩党の支部が相次ぎ発足しました。県農業会(後の農業協同組合)を中心とした富山県...
県政探訪

歴代の知事と首相

時代背景を映す 戦後の富山県の知事は、初代の舘哲二から高辻武邦、吉田実、中田幸吉、中沖豊、石井隆一、現在の新田八朗まで7代にわたります。県政は、社会情勢や外交、財政、地方政策に大きく左右されてきました。歴代知事と首相の在任期間を対比すると、...
県政のあゆみ

Ⅰ-4、政党の再建

戦前のリーダー中心に結成 占領軍の指揮の下で政治、経済、社会の民主化が手探りで進められる中、戦後初の総選挙の日程が昭和21(1946)年4月10日に決まりました。総選挙を控え、戦前からの政治のリーダーたちが政党の再建、結成に向けて動きます。...
石澤義文氏回顧録を読む

【下】論客で鳴らした県議時代

「議場で堂々と論陣を張り、言論で勝負するのが政治家の使命」と石澤さんは語っています。県議会の論戦ではたびたび舌鋒鋭く県当局に迫りました。県議時代の思い出として特に強調しているのが、イタイイタイ病の対応をめぐる討論と、体罰に関する教育論争です...
石澤義文氏回顧録を読む

【上】戦後とともに歩んだ地方政治家

昭和一けた世代は、戦前から戦後へと大きく変わっていく日本社会の歩みとともに10代、20代の多感な時期を過ごします。野球少年だった石澤さんが12歳で旧制高岡中学に入学したときは太平洋戦争真っただ中の1944(昭和19)年でした。戦時中、野球は...
県政のあゆみ

Ⅰ-3、官選知事

めまぐるしく5人交代 昭和20(1945)年8月15日正午、天皇が終戦の詔書を読み上げた「玉音放送」が流され、太平洋戦争の終わりを告げました。その後、新憲法、地方自治法が制定されて新しい知事や県議会議員が選ばれることになりますが、それまでは...
石澤義文氏回顧録を読む

石澤義文氏回顧録「人生のあとさき」を読む

富山県の政治家、商工会長を歴任し、ことし95歳を迎える石澤義文さんが回顧録「人生(たび)のあとさき」を出版しました。1963(昭和38)年に31歳で富山県議選に当選して6期連続務めた後、旧福岡町長に転じ、商工会の富山県会長を経て、全国会長を...
県政のあゆみ

Ⅰ-2、翼賛選挙

非推薦の当選は高見一人だけ 戦時中最後の衆院議員選挙は昭和17(1942)年4月30日に行われました。この選挙は、東条英機内閣が結成した翼賛政治体制協議会(翼協)が候補者を推薦する形式が取り入れられ、選挙運動に政府や軍部が露骨に介入したこと...
県政のあゆみ

Ⅰ-1,官選知事から舘県政

戦後政治の出発点 最初の時代区分として、終戦から第1回知事選が行われた昭和22(1947)年4月までの期間を扱います。それまでは政府が任命する官選の知事でしたが、戦後は公選制に変わります。初の知事選を経て、公選初代知事に舘哲二が就きました。...