昭和一けた世代は、戦前から戦後へと大きく変わっていく日本社会の歩みとともに10代、20代の多感な時期を過ごします。野球少年だった石澤さんが12歳で旧制高岡中学に入学したときは太平洋戦争真っただ中の1944(昭和19)年でした。
戦時中、野球は「敵性スポーツ」とされて部活動が禁じられ、自宅の土蔵の的に向かってピッチングの練習をしていました。石澤さんの野球は知識、技術ともすべて独学で身に着けました。大きく落ちる決め球の変化球・ドロップも自分で習得したということです。
入学してすぐに学徒動員になり毎日、旧鐘紡の高岡工場で機関銃の部品づくりに従事しています。この工場は、高岡に進出したもともとの会社名から当時「ブルツ工場」と呼ばれていました。
▽学制改革で石動高へ転校
旧制中学在学中に終戦を迎え、戦後の学制改革に直面します。占領軍の民主化政策として断行された教育制度改革により、小学校卒業後、旧制中学や実業学校などに分かれていた学制が1本化され、義務教育の小学校6年、中学校3年と高校3年、大学4年に変更されたのです。これまでなかった新制中学が創設され、旧制から新制へ高校が移行した昭和20年代前半の教育現場は大混乱でした。
旧制高岡中学は1948(昭和23)年4月にいったん新制高岡高校になりますが、半年後に高岡工芸学校や女学校とともに「高岡中部高校」に統合されました。高岡中部高校は発足当初、生徒数2018人の県内最大のマンモス校になりました。しかし、小学区制の導入で自宅近くの高校に行くことが定められ、高校3年の春、高岡中部高校に通っていた福岡町の石澤さんは石動高校への転校を余儀なくされます。甲子園を目指していた石澤さんは石動高でも野球部に入ります。無念の思いで移った石澤さんでしたが、石動高野球部は県大会を勝ち進んで北信越大会へ進出しました。在校生から温かい応援を受け「わたしには二つの母校がある」と振りかえっています。
高岡中部高は発足して1年半足らずで高岡工芸高が分離独立し、53年には高岡高校に改称しました。
▽合併で選挙区が毎回変更
大学を卒業した石沢さんは家業を継ぎ、地域の青年団活動に参加して県議選に出馬します。そのきっかけになったのが米国視察団への参加でした。連合国軍の占領下から独立したばかりの昭和30年代は、まだ海外への一般渡航が制限されていました。海外へ行くこと自体がとても珍しいことだったのです。富山県の代表枠に応募して選ばれ、1959(昭和34)年に3か月かけてアメリカ各地を視察しました。帰国後にその体験談を各地で講演したことが、政治家への道を開きました。
福岡町の県議選の選挙区は西砺波郡でした。西砺波郡選挙区のエリアは、59(昭和34)年県議選は福光、石動、砺中、戸出、福岡の5町でした。小矢部市の発足で石動と砺中が抜けた63(昭和38)年県議選は福光、戸出、福岡の3町になります。67(昭和42)年県議選からは高岡市と合併した戸出が抜けたため福光と福岡の2町だけになりました。
町村合併が進んだ昭和30年代、県議選の選挙区は毎回、変更を続けました。立候補者はそのたびごとに対応を迫られます。石澤さんは63年の県議選に出馬し、初当選します。定数2の西砺波郡選挙区で、福光と戸出をそれぞれ地盤とする自民党ベテラン現職の2人に無所属新人で挑んだ選挙戦でした。出身地の福岡を基盤として、大票田の福光の票の奪い合いに勝ち抜きました。2期目の67年県議選は、福光から出た2人の新人との争いでした。福光の2人が激しい票の争奪戦を繰り広げる中、福岡の票を固めて再選を果たしました。
このころの選挙で特筆されるのが投票率の高さです。石澤さんが初当選した63年の西砺波郡の投票率は87.4%。福岡町は93%でした。67年は西砺波郡94.7%で、福岡町は95.5%に達しています。よほどの人を除いて町民のほぼ全員が投票したレベルで、今では考えられない高投票率を記録しています。昭和40年代まで投票日は平日でした。
▽旧自由、民主が激しく派閥争い
昭和30、40年代は自民、社会の2大政党による「55年体制」が立ち上がったころで、富山県の自民党内は旧自由党系、民主党系の派閥が厳然と残り、両派に分かれて議会や党の役員ポストを争っていました。中選挙区制の衆院選は、県東部の富山1区、県西部の富山2区がそれぞれ定数3です。富山2区は旧民主系の松村謙三さん、旧自由系の正力松太郎さんが連続当選で議席を占め、県西部の県議は松村、正力の両派に真っ二つに割れていました。
石澤さんは自民党現職を破って当選した経緯から無所属になっていましたが、父の代から松村支持派で、県議会では最初から自民党の民主系の集まりに顔を出していました。両派とも富山市内の松川べりの料亭に集まるのが慣例で、自由系は堺捨旅館、民主系は金茶寮に陣取りました。そこで議長や会派役員などのポスト調整を話し合ったということです。
◆政治家、商工会長として富山県の地域社会のかじ取り役を担い、波乱に満ちた半生を綴った石澤義文氏回顧録「人生(たび)のあとさき」は北日本新聞社刊、1430円(税別)。富山県内の書店で扱っています。

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