Ⅰ-12、昭和22年一斉選挙 総選挙(4月25日)

社会党が県内初議席

 新憲法下で初めてとなる衆院選は帝国議会時代から数えて「第23回総選挙」ですが、主権が天皇から国民に移り、総理大臣が国会議員の中から選ばれる仕組みになるなど、民主国家としての戦後第1回と呼ぶにふさわしい選挙でした。前回の大選挙区を見直して中選挙区制が復活し、富山県は戦前と同様の東西1区、2区でいずれも定数3、投票は1人の名前を書く単記投票制になりました。

前回総選挙から1年の間に、中央政界では政党の組替えが相次いでいました。農本党の麻生正蔵、稲田健治が所属していた協同党は協同民主党となり、無所属の中田栄太郎が加入していた国民党と合併して国民協同党になりました。橘直治や佐藤久雄の日本進歩党は3月末に無所属議員らを加えて民主党を結成しました。

富山1区に10人、2区は9人が立候補しました。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が軍国主義者や戦争に加担した人などを公職から追放する方針を打ち出し、立候補するには資格審査をパスしなければなりませんでした。富山県の現職では稲田、麻生と佐藤が公職追放の対象となり、立候補できなくなりました。1区で自由党の松岡松平、2区では民主党の河合良成が出馬の準備をしていましたが、ともに追放の対象になり断念しています。こうした有力者が出馬できなかったことが、選挙結果に大きく影響しました。

この総選挙では全国的に社会党が大きく躍進して第一党になっています。富山1区でも矢後嘉蔵が県内初の社会党の国政議席を獲得しました。社会党は1区で、矢後のほかにも公認候補の山本松次郎と山田義春、さらに社会党を標ぼうする無所属の青山喜一と計4人が乱立しましたが、矢後が得票をまとめて前回トップ当選の中田栄太郎を振り切り、3位で当選圏入りしました。戦前に山形県で衆院議員を務めていた朝日町出身の元職、清水徳太郎は及びませんでした。1区の当選者は全員新人で、民主党の佐伯宗義、自由党の鍛冶良作が表舞台に登場してきました。

2区は前職の民主党・橘直治、自由党・綿貫佐民が議席を守り、麻生の替わりに国民協同党・農本党で立候補した新人、内藤友明が初当選しました。社会党は知事選で落選したばかりの大井義昌が出馬しましたが次点でした。共産党候補は1,2区とも議席に届かず、2区の県内唯一の女性候補だった無所属の宮内実も落選しました。

全国の結果は、社会党が144,自由党131、民主党124、国民協同党31などとなり、社会、民主、国民協同の3党連立により史上初めて社会党首班の片山哲内閣が発足しました。

第23回総選挙/昭和22(1947)年4月25日
第1区(3)45,920佐伯宗義54民主党
 37,481鍛冶良作53日本自由党
 33,352矢後嘉蔵48日本社会党
  30,858中田栄太郎62国民協同党
  26,006山本松次郎48日本社会党
  17,565清水徳太郎66民主党
  7,646山田義春45日本社会党
  3,201岩林虎之助40日本共産党
  1,862青山喜一41無所属
  1,816中村寅次郎57無所属
第2区(3)40,194内藤友明54国民協同党
 39,933橘直治40民主党
 36,789綿貫佐民52日本自由党
  26,371大井義昌72日本社会党
  24,121土倉宗明59民主党
  8,497斉藤茂信51無所属
  5,586木倉純郎37日本自由党
  4,076宮内実37無所属
  2,511吉田資治44日本共産党

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