県政のあゆみ Ⅰ、官選知事から舘県政(2)翼賛選挙
戦時中最後の衆院議員選挙は昭和17(1942)年4月30日に行われました。この選挙は、東条英機内閣が結成した翼賛政治体制協議会(翼協)が候補者を推薦する形式が取り入れられ、選挙運動に政府や軍部が露骨に介入したことから、翼賛選挙と呼ばれます。衆院466議席に対して推薦候補が定数通りの466人立候補しました。政府が推薦した議員だけの国会にしようとしたのです。推薦に漏れて自ら名乗り出た非推薦候補も613人いて候補が乱立しました。
富山県内では定数3の富山1区に推薦3人、非推薦6人の計9人、富山2区には推薦3人、非推薦5人の8人が立候補しました。当時、国会では軍部に批判的な尾崎行雄、鳩山一郎らが「同交会」を結成しており、これに県内から参加した政友会の石坂豊一は、富山1区に非推薦で名乗りを挙げました。このほか高見之通、野村嘉六、山森利一、土倉宗明の前職や元職に加え、鍛冶良作、綿貫佐民といった戦後の県政を担っていくメンバーも新人で立候補しています。
投票の結果、富山1、2区の当選者6人のうち推薦候補が5人を占めました。非推薦で当選したのは1区の前職、高見之通1人だけでした。全国的にも推薦候補が当選者の8割を占めました。
2区で当選した推薦議員の卯尾田毅太郎は、20年6月16日の新湊町(現新湊市)への空襲で亡くなっています。
この翼賛選挙で当選した衆院議員の顔ぶれで、昭和20年の終戦を迎えます。
| 第21回総選挙/昭和17(1942)年4月30日 | ||||
| 第1区 (定数3) | 当選 | 井村荒喜 | 17,718 | 推薦 |
| 当選 | 高見之通 | 10,049 | 非推薦 | |
| 当選 | 中川寛治 | 9,872 | 推薦 | |
| 赤間徳寿 | 8,467 | 推薦 | ||
| 野村嘉六 | 8,701 | 非推薦 | ||
| 山森利一 | 8,612 | 非推薦 | ||
| 石坂豊一 | 5,116 | 非推薦 | ||
| 鍛冶良作 | 2,981 | 非推薦 | ||
| 藤江清航 | 1,053 | 非推薦 | ||
| 第2区 (定数3) | 当選 | 松村謙三 | 18,559 | 推薦 |
| 当選 | 大石斎治 | 15,929 | 推薦 | |
| 当選 | 卯尾田毅太郎 | 12,401 | 推薦 | |
| 土倉宗明 | 7,441 | 非推薦 | ||
| 綿貫佐民 | 6,714 | 非推薦 | ||
| 飛見丈繁 | 5,361 | 非推薦 | ||
| 岩佐虎一郎 | 940 | 非推薦 | ||
| 野村幸助 | 900 | 非推薦 | ||

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