県政のあゆみ Ⅰ、官選知事から舘県政(3)官選知事
昭和20(1945)年8月15日正午、天皇が終戦の詔書を読み上げた「玉音放送」が流され、太平洋戦争の終わりを告げました。その後、新憲法、地方自治法が制定されて新しい知事や県議会議員が選ばれることになりますが、それまでは旧憲法の体制のままです。敗戦直後の混乱を反映し、19年7月から終戦をはさんで戦後初の知事選が行われた22年4月までの2年9か月間に、富山県知事は、政府が任命した「官選知事」5人が数か月単位に目まぐるしく交代しました。
この間の官選知事は以下の通りです。
岡本 茂(19年7月25日-20年10月27日)
吉武 恵市(20年10月27日-21年1月25日)
田中 啓一(21年1月25日-7月9日)
石丸 敬次(21年7月9日-22年2月28日)
羽根 盛一(22年2月28日-4月19日)
岡本知事は終戦の告諭を発する歴史的な任務に携わり、占領軍受け入れの指揮をとりました。吉武知事は戦後初の県会を開いて21年度県予算案を通過させています。田中知事のころに食糧危機がピークに達し、石丸知事の時代には食糧人民大会の大デモが県庁前で繰り広げられます。両知事はこうした対応に追われました。羽根知事は、戦後初の知事選、市町村長選の執行を手がけ、公選知事に引き継ぎました。
戦後初の通常県会は、20年11月26日に開かれました。議員、当局一同で県護国神社に参拝した後、会議を始めています。会期中に吉武知事が民生安定、食糧増産、戦災復興を重点課題とする予算案を提出し、無修正で可決して12月15日に閉会しています。翌21年11月22日には会期1日の臨時会があり、選挙管理委員会や監査委員を創設する条例などを決めました。
22年2月議会は異例の事態になりました。13人もの県議が公職追放のおそれがあるとして辞表を提出したのです。残った議員では定数の過半数に満たず、開会できなくなりました。辞表を提出した県議は、議長の武部毅吉のほか安井忠重、野上資良、小松武五郎、森丘正唯、米沢元健、五十嵐為太郎、池内佐次、堀田勝文、老田伊三郎、田中孝治、片折十次郎、砂土居次郎平です。
22年度予算案は残った14人の議員の「全体会議」に切り替えて審議し、参事会という戦前の規定に基づく機関で議決する展開をたどり、予算が成立しました。4月に地方自治法が施行され、参事会は廃止され、県会は県議会と呼び方が変わります。議会の権限は大きく高まりました。
戦後初の県議選を経て22年5月に県議会事務局が設けられ、知事部局から独立して県議会の事務を専属で取り扱う体制が整いました。

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