県政のあゆみ Ⅰ、官選知事から舘県政(1)
最初の時代区分として、終戦から第1回知事選が行われた昭和22(1947)年4月までの期間を扱います。それまでは政府が任命する官選の知事でしたが、戦後は公選制に変わります。初の知事選を経て、公選初代知事に舘哲二が就きました。官選知事から舘県政に至る戦後政治のスタート地点です。
この時代の全体像を紹介します。
ダグラス・マッカーサーが率いるGHQ(連合国軍総司令官総司令部)の指揮下で、戦時体制を抜本的に転換する農地改革や教育改革、財閥解体、労働組合奨励などの占領政策が次々に打ち出されます。新しい憲法が制定され、社会の仕組みも価値観も大きく塗り替わった戦後が動き出しました。
▽めまぐるしく交代
この時代の特徴は、多くの人物が政治の表舞台に登場してきたことです。戦時中の翼賛選挙でそれまでの政治家の多くが入れ替わったうえに、戦後直後の選挙には続々と新人が名乗り出ました。21年総選挙の富山県選挙区に38人、22年総選挙には19人が立候補しています。県議選には101人が出馬しました。
そして戦前の政治指導者の多くが公職追放になりました。現職だったのに選挙に出られなくなったり、当選してから辞任に追い込まれたりしたのです。戦前派、戦後派が入り乱れ、政治家の顔ぶれがめまぐるしく交代しました。
▽キーワードは「農」
この時代のキーワードの一つは「農」です。あらゆる物資が不足する中で、食糧の調達、農業振興が喫緊の課題でした。占領政策の重要な柱として、小作農を地主から解放する農地改革が断行され、政策責任者の農林大臣として富山県選出の松村謙三が陣頭指揮を執ります。
政治勢力としても農家、農業団体は大きな存在で、農業者を支持母体とする富山県独自の政党・農本党が衆院選で議席を獲得し、県議選では第1党に躍り出ます。戦前からの農民運動のリーダーたちが戦後復活した社会党の主力メンバーを務め、その代表格の矢後嘉蔵は、社会党初の県内の衆議院議席を勝ち取りました。農業は政策課題として、産業として、政治勢力として、県政の中心的な位置を占めていました。
▽政党支部が復活
戦前、大政翼賛会に集約されて解散した政党が次々に復活します。富山県内でも社会党や共産党の組織活動が動き出し、旧政友会、民政党の流れを継ぐ保守政党の支部が活動を再開します。政党支部のリーダーたちが、戦後の県政をけん引するキーパーソンになっていきます。
女性参政権が認められ、国政選挙や県議選に県内でも女性候補が名乗りを挙げました。富山県出身の松村謙三や河合良成が閣僚に入り、戦後日本のかじ取り役を担いました。
▽公職追放、知事空白1年
初代公選知事の舘哲二は7か月足らずで公職追放となり、辞職しました。その後、2代の高辻武邦が選ばれるまで、富山県政は知事の空白期間が約1年間続きます。首相も東久邇稔彦、幣原喜重郎、吉田茂、片山哲、芦田均と短期間で交代を続けました。国も地方も、占領政策のもとで戦後復興に向かっていく混乱の時代でした。
次回から、この時代の選挙や県政の動きを追います。

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